鼻の穴が開いているなつみはんとか色々

おとめちっくBank@安倍はん
オーディオコメンタリィでの安倍はんを聞きたくて購入。肌の質感が気になりまくりで異様なテンション。かと思いきや突然”なちゅみはアイドルなのかなぁ?”と自問自答。ピロリンを歌っている自分を見れば確かにアイドルだなと呟くもどうも何か違うらしい。いくつかの言葉を挟んだあと突然”うーん分かんないや”と吐き出す。松浦が”アイドルではない”とはっきり言っているのとは対照的でした。25でピロリンを歌うって凄いね、と自分を褒めるなつみはんは何か寂しげな物言いでした。飯田さんとの照れくさそうなやりとりにはここまでの長い時間を思わせ、学生時代を歌上げる中でそのお互いの思いは歌詞とシンクロしたように見えました。物理的な距離によらない通じ合い。思い相。



◆くりぃむなんトカとか
ビンカン選手権は企画側に比重が有り人をあまり見せてはくれない企画。辻がこの企画時に出る事は少し残念でした。ただ人の脳みそのレントゲンを虎のレントゲンと言う事やBeerとBearの違いはおろか意味やスペルの意味そのものさえも兎に角全て英語に関しては分かりません的な物言いは流石ののたんでした。バカのプロは今現在二人しかおらずその伝統的な継承が危ぶまれています。辻が今すべき事はメジャー級のプロとはこういうものだと世間に知らしめることです。香田晋がなんだ、大沢あかねが何だ、若槻千夏が何だ。その計算に埋もれた思考の中で何が出来ると言うのか。どんな暗い雰囲気でも一瞬にして明るくしてしまう在るがままな力を思い知るが良い。辻希美は言葉に縛られない。目指すものも満たそうとするものもない。ただそこにいるのである。



◆My team 続き
言葉は意味を縛る。シュートとパスはただ言葉の違いしかない。僕は心内で蹴るボール全てを”パス”と名づけている。その事でシュートを意識して起こる(シュートという言葉を意識して起こる)不安や緊張を減らした。だがそれではシュートから逃げていることになる。なのでパスの全てをシュートと意識してプレーしてバランスも取る。どちらか片方からだけしか見れないうちは避ける事が多かった。両面から見てみることで避ける事を止めることができ、対立しない第3の力をもって往なす事を意識できるまでになった(部分もある)。そこに工夫とアイデアが生まれて来たような気がする。


蹴る時はどんな時も片足で立っている。右足でボールを蹴れば体を支えているのは左足のみである。蹴るという行為は片足でするものである。僕はこの事を重んじ今までしてきたトレーニングで片足で行えるものは片足でするようになった。スクワットにしろ縄跳びにしろ15mダッシュにしろ。この片足で立つ事のトレーニングは何でも出来る。歯磨き中は終わるまで片足で立ちながらとか。なんでも練習に結び付けようと意識すれば何でも出来る。迷わず行けよ、行けばわかるさ。である。